Rubyに興味があるからCRubyのcommitterになりたい。
それが今の目標だ。
何故なりたいんだろう?仕事ではRubyは使ってない。プライベートでは最近はコードすら書いていない。なのに何故?ソーシャルゲームプログラマーが自分のアプリを遊ばないけど問題解決はやりたいみたいなものなんだろうか。
現時点での答えは「楽しそうだから」だ。
それに継続的に実力をつけていくイテレーションが作れそうという理由もある。
でも、それはRubyじゃなくてもいい理由だ。
何者かになりたいんだ。そして自分の作ったものを世に残したい。それは僕が死んでも動き続け、生き続ける。それを残せればなんでもいいんだと思う。
考え方を学びたい。何故成功したのか、何故こんなに使われるようになったのか、何が求められ、それに対してどう答えたのか。Railsも興味があるのはそこだ。Railsの勉強はActive Recordのメソッド名の付け方やソースを読んだ程度で実際にはアプリを作らずDHHの本を買った。考え方を学んでどうするのか。自分を成長させたい。自分を成長させてどうするのか。自分が死んでも使われ続けるものを作りたい。それは何でもいいが、とりあえずめぼしいものはRubyだ。考え方も成長も使われることもマッチしてる。よしだんだんまとまってきたぞ。
ここで問題になるのは「鶏が先か、卵が先か」問題だ。Rubyをやれば成長できる。成長するにはRubyがいい。ここで止まっているんだ。この波にのる方法はRuby以外の方法で徐々にステップアップして成長して行かなければならない。段階を組まなければ足は止まったままだ。まるでRPGのようだけど魔王城で経験値を稼ぐには地道に最初の街まわりで経験値を稼がなければならない。それはなんだろう。今は読書に当てている。これでいいのだろうか。
少しコードを書く。少しコードを読む。少し本を読む。これが必要だ。