風立ちぬ / 宮崎駿

突風が吹いて、そしてやんだ。そしてその風の意味について考え始める。そんな映画だった。

 

テーマについて:

最初は大東京トイボックスのような仕事に対して苦悩したりそれを自分の力で乗り越えたりするようなストーリを勝手に期待して観ていた。だから菜穂子との絡みは「それ趣旨じゃないから!」と思いながら観ていた。終わってみた気がついたのはテーマは二本立てだったということだ。「志」と「愛」。頑なに自分の使命を全うしようとする堀越二郎とそれを支えようとする里見菜穂子。でも僕はこの「愛」の部分に疑問を感じていた。本当に互いに愛しあって結婚したのだろうか。堀越二郎が結婚を申し込んだのは偶然再会した軽井沢の宿でだった。そんな短期間で結婚を申し込むだろうか?当時の風習としてそんな感じだったのならありえるのかもしれないけど、じゃあ何故二郎は菜穂子を必要としたのだろう。描かれたシーンとしては互いに愛し合っていることは解る。むしろ僕は堀越二郎だ。僕も最近結婚したばかりだけどすごくダブって感じる場面が多々あった。でもその愛に至った動機は何なのだろう?この動機はおそらくあえて描かれていない。何故だろう?あまり趣旨に沿わなかったからだろうか。この映画は期待に答えない。わかりにくく説明不足で視聴者サービスをしない。伝えようという行為は一切せず、ただそこにあるものを見せているような気さえした。「志」にあたる二郎の飛行機設計に対する愛も動機が不明だ。動機は重要ではないのだろうか?僕が妻を愛した動機はたった1度のオフ会だった。大した動機ではない。物事を始めるのに動機は些細な事だとよく思う。音楽を始めたきっかけはアニソンだった。プログラムを始めたきっかけははてブだった。大した動機ではない。きっかけはなんでもよくて、それからどうしてきたかが重要なんだと思う。音楽はやりたいだけやって諦めてしまった。プログラムは仕事にできた。妻とは結婚した。動機は重要ではない。よって描かれなかった。そう考える。人と人の出会いに必然性を求めるのは勘違いだ。

 

印象的だったこと:

軽井沢の宿で出会ったドイツ人のカストルプさんが言う「日本人、忘れる」「中国攻める、忘れる」「満州作る、忘れる」「ロシア攻める、忘れる」の場面だ。何故印象的だったか考えてみる。まずカストルプさんの目は異様に輝いていた。まるで金色のガッシュだ。日本人の愚かな行いを責めるような目ではない。もちろん否定も肯定もしていなかったように思う。結果から書くと僕には「忘れてはならないが囚われてもいけない。前に進むことが大事だ」というふうに捉えた。堀越二郎の作っていたものは美しい飛行機であり、戦争の兵器だった。二郎は全て承知のうえで行動し、その足は止まらなかった。戦争がなければ二郎はあそこまで飛行機設計に打ち込めただろうか?チャンスは恵んできただろうか?時代が必要としただろうか?二郎は戦争に生かされていたが、戦争に生きなかった。戦争の囚人になることはなく「志」に生きた。メメント・モリは死に怯えて生きろという意味ではないと思う。死があるからこそ生きようとする。生きようと試みなければならない。過去の過ちに囚われて向上心を失ったものは馬鹿だ。僕たちは生きるために、忘れているのかもしれない。

 

風について:

僕が感じた突風は何だったのだろうか?物語は断片的で、時間の経過などは突然で、強いシーンが駆け抜けるように過ぎていったからだろうか?それともまるでそこに居るかのように風が吹き、風が描かれたからだろうか?作中では「風立ちぬ、いざ生きめやも」の部分がしつこいくらいに語られている。色んな作品を統合したのであろう本作での芯となる部分なのではないかと思う。風とは何だろう。僕は描かれた激動の時代の動きそのものなのだと思う。ひたすらに移ろいゆく時代。「破裂だ」と誰もが戦争の敗北を予期し、破滅へ向かっていくような時代。それでも二郎たちの「志」はブレなかった。使命感をもった強い芯をもち、「美しい飛行機を創る」と目標を持ち、何よりも飛行機の設計を優先した。自立した人物には不可欠な要素を持っている。この大きな「風」の中で生きるために必要なのは変化に耐えうる強い芯なのだと思う。時代の起こす大きな「風」とそこに生きた強い「芯」を感じた。

 

まとめ:

描かれたのは何だろう?二郎が自分の使命を加速度的に全うしようとすればするほどに菜穂子の病状も悪くなっていった。両方に接するには時間は短すぎた。時間は欲しい時に限ってなくなっていく。二人は選択しなければならなかった。生きようと試みなければならないように追い込まれていった。その中で二人が選んだギリギリの選択。片方は自分の「志」を優先し、片方は相手への「愛」を優先した。人は自分が死ぬかもしれないという時にどう行動するだろうか。人は国が滅ぶかもしれないという時にどう行動するだろうか。登場人物たちは全員強い芯を持っていた。宮崎駿監督は今の時代に足りないものを描こうとする人だと思う。