三体 / 劉慈欣

三体の感想を書くことは不可能だ。


単純に三部作で相当な分量があり、しかも一部毎にジャンルが違うと思うくらい多様な話が盛り込まれている。三体の感想を一言で述べるということは、言葉を原子に見立てるならば、原子を無限に圧縮することになるため途中で核融合が発生してしまう。そのため永遠に到達できない。

よってこれから語るのは三体の感想ではない。ただの個人の日記である。


2021-12-23。僕は三体Ⅲを読み終えた。

僕は三体を2021年5月頃に読み始めた。Ⅰだけでも歴史あり、科学あり、VRあり、サスペンスあり、人類賛歌ありと盛りだくさんだった気がする気がするというのは、現実での時間の経過もあるが、本編の話のスケールが大きすぎて、Ⅰは遠い過去の話のように感じるのだ。

途中間も空いたりしているが、Twitter検索によるとⅡの上を読み終えたのが10月となっている。Ⅱを読み終えたのは11月末だ。

そう考えるとⅢは1ヶ月程度と、僕にしてはかなり早く読んだことになる。僕は「年内に読み切る」と目標を立てた。

目標とは、他の余計なことをしないために自分にかける呪いだ。この呪いのおかげもあってか、それとも三体の魅力もあってか、加速的に読み進めていった。


これだけの壮大なスケールにも関わらず、三体は読みやすい。難しい表現は出てこず、かなりわかりやすさに配慮しているんじゃないかと感じた。表現は淡々としていて、それでいて壮大なシーンも僕でも難なく思い描けるように書かれている。それゆえ、壮大なシーンがダイレクトに精神に届くため、〈水滴〉のシーンや〈紙切れ〉のシーンは精神的に落ち込んだ。


僕個人は、壮大な人類の歴史にとってほんの小さなひと粒の粒子でしか無い。そう考えると生きる意味についても、どうしても考えさせられてしまう。

僕は今年いっぱいでMICINを退職し、来年1月からREADYFORへ転職する。しかし、そんなことは人類にとっても宇宙にとっても些細なことだ。僕がこの人生で何をしたのかなんて、多く見積もっても百年と残らないだろう。宇宙規模で見れば、全ての個人の営みは等しく希薄化され、一切意味がないかのように思える。


はたしてそれが真実なのだろうか?


本書ではこうも語られている。

”きょうを楽しめ”というのがいつだって正しい道だったんだからね。

私達の目では原子は目に見えないほど小さい。一つ欠けたところで大して変わらないだろう。代わりはいくらでもいる。


しかし世界はその原子でできている。


宇宙規模で見ればちっぽけな命でも、宇宙の歴史はその生命の一つ一つで紡がれている。

宇宙は大きい。でも、生命はもっと大きい。

生きる意味なんてどうでもいい。生きることが意味なのだから。